中年世代となった私たち夫婦ですが、同世代に加えて下の世代の夫婦、結婚を控えたカップルから同居に関する相談を受ける時があります。

まあ、私の居住地が東北の地方都市ですので、同居比率が高い事情もあるためと思います。

相談内容としては、私には「同居に首を縦に振らない妻を説得したい!」と“夫側”からです。

一方、私の妻には「なんとか同居をしない方法はないか!」と“妻側”からです。

なお、受ける相談数の多さは、圧倒的に私 妻です。

嫁である妻側の方が、同居への危機意識が高いから当然ですね。

ただ、相談を受けた私たち夫婦のアドバイスは、ほぼ決まっています。

同居だけは、やめておけ!」と。

なぜなら、上手くいくことは難しいと思うからです。

上手くいかなかったデータは、私の周りだけでも腐る程ありますw

たまに、二世帯住居にリフォームされた不動産の売却用チラシを見かけますが、物悲しくなってしまいます。

もし、表面上でも上手くいっているように見えるのなら、おそらく誰かが我慢しているからだと思います。

ただ、特別な事情がある場合、例えば、失業や病気により経済的に困窮している、代々の家業を営んでいる、などの稀な場合は別ですよ。

ところで、私たち夫婦が“同居は可能な限りやめるべき”との共通認識を有するようになったのは、ある時点からです。

その結果、同居を避けることができました。

でも、夫婦間で同居に関する認識が異なる場合、一方側(たぶん妻側)がただ単に「同居は嫌だ、したくない!」と主張しても上手くいかないと思います。

最悪、夫婦関係が拗れて離婚に至ってしまう、離婚しないまでも、義実家との関係が険悪になる場合も少なくありません。

私の経験上、その共通認識に至るまでの大きな鍵は、長男教洗脳を解くことだと思います。

そこで、私たち夫婦が共通認識を有するまでの過程を、長男教を絡めつつ経験に基づいてまとめてみました。

また、同居しなかったことのメリット、そして、デメリットについても、まとめています。

もし、あなたが“”であるなら、同居について再考する切掛けにして頂ければと思います。

特に、同居したくない嫁としたい両親の“板挟み”になっているのなら、1つの指針を得られるかもしれません。

一方、あたなが“”であるなら、同居に傾く夫の説得材料にして頂ければと思います。

doukyo

1.同居すべきでないとの共通認識に至る過程

まず、最初に申しますと、今現在、私の両親は既に亡くなっています。

以下内容は、両親が生きていた頃も含まれるので、これを前提として読んで頂ければと思います。

(1)同居は仕方ないと思っていた

私は結婚当初、同居は当然とは言えないまでも、両親が望んだら将来的には“する方が良い”と思っていました。

今考えると、理由はなぜか判りません(^_^;)

おそらく、長男であった私に対し、“長男教”であった母による幼い頃からの“洗脳”、言葉を換えれば“刷り込み”があったからかもしれません。

ここで、長男教について言及しておきます。

長男教とは、長男は家の跡を継ぐと共に、同居して両親の面倒を当然みるべきとする考え方。

他にも、長男を他の兄弟に比べて何かと優遇する考え方と言う意見もあります。

まあ、正確に定義されている訳でもありませんが、巷ではこのように言われています。

この考え方は、旧民法下の“家督相続”の影響だと思います。

この家督相続とは、ざっくり言うと、家長となった長男が、家長であった父の地位や財産を、兄弟が何人いようと単独相続することです。

現在は、法改正されて子であれば平等に相続するとなっています。

ただ、長男教は今でも地方に根強く残っている考え方であり、都会の方でも、たまに見かけます。

母の実家は大きな農家であったため、長男教が当然であったのだと思います。

この長男教の影響のためか不明ですが、私自身、いわゆる義実家への帰省を妻に強要していました。

この辺りについては、「義実家への帰省、憂鬱な時期到来!」の記事でまとめていますので、読んで頂ければと思います。

(2)東北へのUターン

結婚当初は、大学卒業後に就職した企業の勤務先の関係上、南関東に住んでいました。

しかし、父が持病を抱えていたこと、母からの暗な要請、当時の勤務先の状況から、転職して実家のある東北にUターンしました。

ただ、その当時の実家には嫁入り前の妹がいたため、同居はせずに実家近所の賃貸物件に住むことにしました。

ここでの近所は、いわゆる“スープの冷めない距離”のところです。

これ以降、妻とは何かと喧嘩や言い争いが増え、夫婦関係は険悪化していきました。

良好だった夫婦関係のあまりの変わりように、正確な理由が判らない私は物凄く戸惑った記憶があります。

(3)意識変革

私は、転職後の仕事の都合上、法律を解釈する場合の基本的な考え方、民法の相続、及び戸籍法について知る機会がありました。

まず、法律の基本的な考え方としては、“権利と義務は表裏一体であり、義務を果たさない以上、権利を主張できない”です。

また、民法の相続としては、“原則、子の相続分は平等であり、子の配偶者(妻)には相続分は無い”です。

さらに、戸籍法としては“結婚すれば親の戸籍から除籍され、妻と新戸籍を作ることになる”です。

理系出身であった私は、これら法律の上面を何となく知っていたのみで、その突っ込んだ解釈を初めて知ることになったと言えます。

この結果、私の中で、

長男のみが家の跡を継ぐことは平等相続の原則に反する。

長男のみが親の面倒をみなければならないのは、平等な義務の履行に反する。

権利義務関係があるのは実の両親と私との間であり、妻には相続権がない一方で、一義的に介護義務もない。

妻と新戸籍を作って新たな家族範囲を形成した以上、親からは経済的にも精神的にも独立するべき。

のような“意識変革”が起こりました。

この意識改革長男教の洗脳を解く切掛けとなったのです。

それ以降、大袈裟な物言いとなりますが、私は長男教の呪縛から解放されることになったのです。

(4)長男教の呪縛からの解放と行動

長男教の呪縛の下では、実家に関わる妻の意見は“悪口”に聞こえていました。

特に、「実家に行くと、あなたは私の“夫”から義両親の“子供”に変わってしまう!」や「私はあなたの実家の家族に後から加わったのではない!」との妻の意見には、ムキになって論理的でない反論をしていました。

しかし、意識改革以降、妻の意見をすんなりと受け入れることができるようになりました。

まったくもって不思議です。

多分、長男教の洗脳が解け、その呪縛から解放された結果、考え方が柔軟となり視野が広がったからだと思います。

そして、妻の意見も参考にして、夫婦として以下の取り決めをし、行動に移しました。

結婚して独立した以上、将来も原則として同居はしないと決意する。

不動産を購入するのなら、実家から“スープの冷める距離”とする。

この位の距離がないと精神的に気が休まらないとの妻の意見を採用したものです。

たまに、同じ敷地内で別棟を建て、なんちゃって別居とする場合がありますが、結局は破綻している例を良く聞きます。

また、不動産の購入時には、“ヒモ付き”となって干渉を避けるため、親からの経済的援助は断ることとしました。

実際、妹が嫁いだ後に電撃的にマンションを購入しました。

互いに“義実家詣で”を強要しない。

その結果、長期休暇は夫婦別行動しても良い。

お互いの実親の対応は、原則、実子がそれぞれに行い、他方はサポートに徹する。

親の介護などは、互いの実子間で平等になるように働きかける。

特に、実家の用事、例えば、親の病院への付き添いや介護などには、まずは実子である私が対応することにし、一方的に妻に押しつけるようなことはやめました。

私が対応できない場合は、頭を下げて妻にお願いするようにしました。

すると、妻から積極的なサポートを得られるようになったのです。

意識改革前は、妻は私の実家の用事への対応をすごく嫌がっていたのですが・・・。

結果的に、夫婦関係は見違えるように改善されました。

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2.同居しないことのメリット

(1)夫婦関係が円満になる

夫婦関係が極めて円満になります。

不思議なくらいです。

何と言いましょうか、おそらく、

:妻のストレスが低下する。
:妻の私への八つ当たりや実家への愚痴が減る。
:私のストレスが低下する。
:お互いに思いやりをもった会話や行動が増える。

このような・・から成る、夫婦円満サイクルが上手く回ったのかもしれません。

妹が嫁いだ後、なし崩しに実家に同居していた場合、離婚の可能性は高かったと思います。

実際、妻は「あのまま同居してたら、離婚してたかも!」と、よく述懐しています。

今考えると、恐ろしい限りです((;゚Д゚))ブルブル

夫婦が互いに理解し合えないことは、何事においても悲しい結末を招きますね!

(2)精神的な自立

将来に亘って同居しないことは、経済的だけでなく精神的な自立も促すと思います。

この精神的な自立のためか、長男教時代に有った“俺様気質”が減少し、妻を自分の付属物でなく人生のパートナーとして尊重すべきと考えるようになりました。

その結果、家事分担を引き受けし、妻の意見を尊重するようになりました。

それ以前は、夫婦共働きにも関わらず家事のほぼすべてを妻に押し付けていたり、意見も蔑ろにすることも多かったと思います。

また、二人の議論も以前に増して噛み合うようになりました。

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3.同居しないことのデメリット

(1)良い嫁とは思われない

同居しない場合、長男教の親、兄弟、親戚には理解されることは無く、不平・不満も大きいかと思います。

それは、彼らの価値観を否定するからです。

また、敵意を向けられることもあると思います。

そして、その敵意の大半は嫁側に向かいます。

親達は、人情として息子よりも嫁が悪いと思いがちだからです。

この点、嫁側は諦めて開き直るのが肝要だと思います。

どうせ、長男教の人達の理解を得ることは、まず無理です。

でも、夫の理解を得てさえいれば、その安心感は彼らの敵意に優ること幾万倍だと思います。

もし、少しでも敵意を和らげようと、良い嫁キャンペーンしているのなら、そんな無駄なことはやめましょう。

(2)経済的援助は期待できない

同居しない以上、経済的な援助は期待できません。

特に、不動産購入については、その購入を匂わすこともやめた方が良いと思います。

親が同居を希望する場合、陰に陽に邪魔することがあり得ます。

我家の場合ですが、報告はマンション購入後にしました。

母は不満気でしたが、金銭的な援助もしていないため、文句も声高に言えなかったと思います。

その一方、実家からスープの冷める距離のマンションを購入しましたが、車であれば15分ほどで駆け付けることができる距離としました。

そして、万一のために親達を引き取れる広さの物件にして、暗にそれを匂わせました。

同居の可能性を一切遮断した場合、実家との関係が決定的に拗れることもあり得るからです。

それに、自分達のテリトリーに親を呼び寄せるのであれば、親のテリトリーである実家に同居するよりも、まだましとの考えもありました。

(3)介護は大変な面があった

父や母が病気になって入退院を繰り返していた時には、同居していないために移動が伴うこととなり、大変な面はありました。

ただ、一切の介護を私が引き受けるのではなく、同じ市内に住む、週末のみですが市外に住む、と代わる代わる実家に泊まり込んで介護を行いました。

もし、同居していたら、妹や姉は私たち夫婦に遠慮して介護義務を果たせなかったかもしれません。

この当時、完全と言えませんが、相続権を有する実子どうしが平等(公平)な義務履行を果たせたとも思います。

(4)祭祀の主宰や相続の取り仕切り

祭祀の主宰とは、両親の葬儀の喪主を務めることであり、その後の法事や新盆で中心的な役割を果たすことです。

私の場合、長男である上に他の兄弟は嫁いだでしたので、祭祀の主宰は仕方がないものでした。

おそらく、同居に関わらず、やらざるを得なかったと思います。

ただ、同居していないことで、何かと文句を付けたい親戚がいたので、祭祀の履行には結構気を使ったのは事実です。

また、相続の遺産分割でも結構気を使いました。

父が亡くなった時は、母が全ての遺産を相続するように兄弟間で調整し、母が亡くなった時は、兄弟間で遺産分割が平等となるように気を使いました。

特に、実家の売却や遺品整理において、できるだけ金銭化して平等な分割となるように心掛けました。

しかし、母の遺産分割時においては、ちょっとした波乱がありました。

それは、姉が姪の振袖代として100万円遺贈の口約束が存命中の母とあったと主張したのです。

この辺の経緯は、「成人式の振袖費用を遺産相続で請求された!」でまとめていますので、興味があれば読んで頂ければと思います。

一方、妹からは最近になって、「お兄ちゃんは、すごく公平だったんだね!」との評価をもらいました。

妹によると、職場の同僚が同居、介護、相続で他の兄弟と揉めていて、その愚痴をよく聞くそうです。

その際、同居はしないものの介護や相続で平等となるように気を配った兄を持つ妹を羨む発言があったそうです。

この妹の言葉は、やっと判って貰えたと感じ、ちょっと嬉しかったですね。

もしかしたら、妹にも長男教呪縛から離脱する心が芽生えたのかもしれません。

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4.最後に

現在、私の周りで親との同居に悩む方は結構多いです。

でも、私たち夫婦は結婚して独立した以上、原則、同居はせずに配偶者と協力し、その後の人生を歩むことが本筋だと思っています。

ただ、夫婦共にこのような共通意識を持つことは難しい場合があります。

その場合、お互いに長男教の呪縛に囚われていないか顧みると共に、意識改革を実行しては如何でしょうか。

長男教は、長男だけでなく性別に関わらず他の子供達までにも影響を与えるのです。

今振り返ってみると、私の人生は失敗が多かったと思いますが、同居しなかったことだけは成功だったと思います。

現在の夫婦関係は良好だし、家族関係に関する視野も広がり、少ないですが妹のような理解者も現れています。

長男教の呪縛から離脱できなかったら、離婚や実家との絶縁に至ったかもしれません。

よく同居しないことを、親不孝だと言う長男教信者な方がいます。

でも、親孝行の機会は他に幾らでもありますし、離婚や実家と絶縁したのなら、その機会さえ逃すことになるのです。

それこそ、愚の骨頂であると思う次第です。

ここで一句、
孝行は 同居せずとも できるもの

では、また。